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店主からのコメント
いつもお世話になっております。中央区銀座で創業40年!古美術すみのあとです。
神奈川県横浜市より戦前絵葉書の買取りのご案内です。
横浜市は、古代から現代に至るまで、日本の歴史と密接に関わりながら発展してきた都市です。特に江戸時代末期の開港以降、日本の近代化の象徴的な都市として成長し、経済・文化・国際交流の拠点となりました、横浜市内には多くの縄文時代の貝塚(大塚・歳勝土遺跡など)が残されており、古くから人々が生活していたことが分かります、弥生時代には稲作が広まり、集落が形成され古墳時代~奈良時代には市内には古墳が点在し、特に市内最大級の帷子(かたびら)川流域の古墳群が重要視されており相模国の一部として、農業や漁業が発展しました。其の後鎌倉幕府(1185-1333)の成立後、横浜周辺もその支配下に入り、東国武士の活動が活発化し武士の交通の要所として、保土ヶ谷宿(後の東海道の宿場町)などが発展しました。かような歴史的文化的拠点でもある横浜市は文化度も高く骨董、戦前絵葉書の買取り、査定でもよく呼んでいただける地域でもあります。
画像の骨董品は戦前絵葉書(太宰府天満宮)です。戦前絵絵葉書を高く売るためには何点かポイントがあり 時代と発行内容が大事です、戦前の絵葉書は、発行された時代によって価値が大きく異なります。特に以下の時代のものは人気があります。明治時代(1868-1912)は初期の写真付き絵葉書(コロタイプ印刷)が貴重、開港地や文明開化をテーマにしたものが人気です。大正時代(1912-1926)は洋風建築・都市の近代化が反映された絵葉書が高評価され昭和初期(1926-1945)は戦争関連(軍事郵便、戦地風景)や、昭和モダンデザインのものが人気で発行年が分かる場合は、査定時に価値を判断する重要な情報になります。各時代を象徴している戦前絵葉書は高価買取が臨めます。
また 絵柄とテーマも買取価格が左右します、戦前の絵葉書は、テーマによって価値が大きく変わります。特に以下のジャンルは市場価値が高いです。① 歴史的建築・都市風景、明治・大正期の横浜、東京、大阪、京都などの都市風景旧帝国ホテル、銀座煉瓦街、浅草六区、神戸居留地などの近代建築戦災や震災前の風景(関東大震災前の東京、戦前の沖縄など)② 軍事・戦争関連日清戦争・日露戦争の戦地写真(従軍記者や戦争絵葉書)第一次世界大戦・満州事変・日中戦争関連軍艦、飛行機、戦車、軍隊行進の写真(特に陸軍・海軍の公式発行絵葉書)軍事郵便(兵士が戦地から家族に送ったもの)
③ 皇室・国事関連明治天皇、大正天皇、昭和天皇の即位・御大典(即位式)関連の絵葉書皇族の写真や皇居の公式行事帝国議会開設、大正天皇の大礼(即位の儀式)④ 観光・鉄道・交通戦前の鉄道(蒸気機関車、満鉄=南満州鉄道、特急列車)戦前の飛行機(大日本航空、日本航空輸送)横浜・神戸の港風景や豪華客船⑤ 外国関連・植民地戦前の台湾・朝鮮・満州(植民地時代の都市風景)ハルビン、京城(ソウル)、台北などの日本統治時代の写真欧米との交流を示す国際博覧会の絵葉書など当時の状況を象徴している戦前絵葉書、写真は高価買取が臨めます。画像の太宰府天満宮も往時を忍ぶことができます。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市にある神社で、学問の神として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)を祀っています。全国の天満宮の総本社の一つであり、受験合格祈願の名所としても有名です。菅原道真は平安時代の学者・政治家で、優れた才能を持つが、藤原氏との政争により901年(延喜1年)に無実の罪で太宰府に左遷され太宰府では寂しく余生を過ごし、903年(延喜3年)に現太宰府天満宮の地で死去。道真の死後、京都では天変地異が相次ぎ、道真の怨霊の仕業と恐れられました。其の後菅原道真の墓所の上に神社が建ちます(919年)道真の遺骸を牛車に乗せて運んだところ、牛が動かなくなり、その場所が「御墓所(御本殿)」となります。919年(延喜19年)、道真の墓所の上に神社が建てられたのが太宰府天満宮の始まりです。平安後期から鎌倉時代にかけて、天満宮信仰が全国に広がり、太宰府天満宮もその中心的な存在となります。鎌倉幕府や室町幕府の武士たちが寄進し、社殿が整備されました。南北朝時代(14世紀)には戦乱の影響を受けるが、その後復興し16世紀の戦国時代には、大内氏や竜造寺氏、島津氏などの勢力争いに巻き込まれ、一時的に荒廃します。1591年、豊臣秀吉が社殿を修復し江戸時代になると、福岡藩主の黒田長政が保護し、参拝者が増え江戸時代には、学問の神として菅原道真信仰が広まり、全国各地に天満宮が建立され太宰府天満宮は、天満宮の総本社としての地位を確立します。