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店主からのコメント
平素よりお世話になっております。創業40年、銀座すみのあとです。
東京都新宿区より戦前絵葉書(古写真)の買取のご案内です。
画像の戦前絵葉書は尾上松之助です。
尾上松之助(おのえ・まつのすけ、1875年9月12日-1926年9月11日)は、日本の初期映画界を代表する名優であり、「映画の父」とも称される存在です。サイレント映画全盛期に数多くの時代劇映画に出演し、「千本斬りの松ちゃん」「目玉の松ちゃん」の愛称で国民的人気を博しました。その名は、現在の映画産業の礎を築いた一人として、映画史において今なお大きな存在感を放っており彼の戦前絵葉書、古写真は内容によっては高価買取が望めます。
尾上松之助は京都府京都市に生まれ、幼い頃から芝居に親しみました。最初は歌舞伎の世界に身を置き、舞台役者としての修行を重ねました。しかし、伝統的な歌舞伎の世界では主役に抜擢されることはなく、脇役に甘んじることが多かったです。だが、その演技力と目力には早くから注目が集まり、やがて新たな表現の場として台頭してきた「活動写真(映画)」の世界に足を踏み入れることになり、現在も戦前絵葉書、古写真で面影を忍ぶことができます。
1909年(明治42年)、京都の映画制作会社「横田商会(のちの日活)」が製作した時代劇『本能寺合戦』で主演を務めたのを皮切りに、尾上は映画俳優としてのキャリアを本格化させます。この作品は、日本映画における時代劇の最初期の例とされており、彼の名も一躍知られるようになりました。
尾上は映画がまだ“舞台の記録”程度と見なされていた時代において、自らを「活動写真俳優」として再定義し、映像メディアならではの演技法を模索し続けた。1日に何本もの映画を撮影し、短期間で大量の作品に出演することで、彼の姿は庶民にとって「映画=尾上松之助」として認識されるようになっていきます。映画を題材とした戦前絵葉書や古写真は内容によっては高価買取が望めます。
尾上松之助が特に有名となったのは、チャンバラ映画の中での圧倒的な殺陣シーンです。彼の代表的なスタイルとして知られる「千本斬り」は、敵を次々と一刀両断にするという誇張されたアクションであり、観客に大きな爽快感を与えた。このスタイルは後の時代劇映画の定型にも影響を与えました。
また、彼の演技の特徴的な点として、目を大きく見開く表情、いわゆる「目玉の松ちゃん」と呼ばれた演技も挙げられる。無声映画の時代、セリフではなく表情と身振りで感情を伝える必要があったため、誇張された視線の演技は非常に効果的であり、観客に強烈な印象を残しました。
尾上松之助が出演した映画は、実に1000本を超えるとも言われており、現存するフィルムはわずかではあるが、その活躍の規模は伝説的です。当時の映画はフィルムが短く、1本あたりの時間も10分〜15分ほどであったため、1日に数本の映画を撮影することも珍しくなかったです。
また、尾上松之助は「活動写真界のスター」という言葉が初めて使われた存在でもあります。彼の名を冠した扇子や絵葉書、グッズなども販売され、現代でいうアイドル的な扱いを受けたことから、映画俳優という職業の社会的な地位向上にも大きく貢献しました。
尾上松之助の活躍は、活動弁士との密接な関係にも支えられていました。無声映画の時代、活動写真にはナレーションを担当する「弁士」が付き、観客に物語を語りかけていました。尾上の作品は弁士によって語られることで、さらに魅力が引き立ち、多くの庶民に親しまれるようになりました。これは、当時の大衆文化と映画がどれほど密接に結びついていたかを示しており映画役者の戦前絵葉書、古写真は買取対象となっております。
尾上松之助が主演した映画『忠臣蔵』は、彼の代表作として今でも語り継がれています。この作品は1910年代から何度もリメイクされており、そのたびに尾上は主役として登場した。なかでも1926年に制作された『実録忠臣蔵』は、尾上松之助の最後の出演作としても知られており、彼の俳優人生を締めくくるにふさわしい一作であります。
同年、尾上松之助は持病により亡くなったが、その訃報は全国に大きな衝撃を与えました。新聞には「映画界の巨星、墜つ」と大々的に報じられ、葬儀には数多くのファンや関係者が集まりました。
尾上松之助は、日本におけるスターシステムの確立、時代劇映画のフォーマットの確立、そして映画俳優という職業の社会的認知を高めたという点で、日本映画史において極めて重要な存在であります。彼の演技は決して現代的ではないかもしれないが、無声映画の中での「動き」や「表情」による表現の可能性を切り拓いた点で、今日の映画人にも多くの示唆を与えております。
現在、尾上松之助の一部作品は国立映画アーカイブなどで保存・上映されており、研究対象としても価値が高い。2021年には彼の映画がデジタル修復され、現代のスクリーンでも鑑賞できるようになった。これは、尾上の遺産が今なお生き続けていることを示しています。
尾上松之助は、まさに日本映画の「原点」とも言える存在です。彼の姿は、技術も表現手段も限られた時代にあって、観客を魅了し続けました。その情熱と創造力、そして大衆との強い結びつきは、今なお学ぶべきものが多いです。映画が芸術であり、娯楽であり、文化であることを体現した男、尾上松之助。彼の功績は、未来においても語り継がれるべきでしょう。
このたびは貴重な戦前絵葉書(古写真)を買取させていただき有難うございました。
東京都新宿区は愛住町、赤城下町、赤城元町、揚場町、市谷加賀町、市谷砂土原町、市谷左内町、市谷鷹匠町、市谷田町、市谷台町、市谷長延寺町、市谷八幡町、市谷船河原町、市谷薬王寺町、市谷薬王寺町、市谷柳町、市谷山伏町、岩戸町、榎木町、大久保、改代町、神楽河岸、神楽坂、霞岳町、片町、歌舞伎町、上落合、河田町、喜久井町、北新宿、北町、北山伏町、細工町、信濃町、下落合、下宮比町、白銀町、新小川町、新宿、水道町、須賀町、住吉町、高田馬場、箪笥町、大京町、築地町、津久戸町、筑土八幡町、天神町、戸塚町、富久町、戸山、内藤町、中落合、中町、西落合、西五軒町、西新宿、払方町、原町、馬場下町、東榎町、東五軒町、百人町、袋町、舟町、弁天町、南榎町、南町、南元町、南山伏町、山吹町、矢来町、横寺町、余丁町、四谷、四谷坂町、四谷三栄町、四谷本塩町、若葉、若松町、若宮町、早稲田鶴巻町、早稲田町、早稲田南町などにお住まいの方には出張買取致します。
銀座古美術「すみのあと」では戦前絵葉書(古写真)の買取りを強化しております。
またご自宅の整理や生前整理・終活、コレクションの処分・整理・断捨離、またはご遺品の整理、そして解体に伴う倉庫や納戸・納屋・蔵の整理も承っておりますのでお気軽にご相談下さい。LINEなどweb査定も無料で行っておりますのでご遠慮なくお問い合わせください。
また今回の戦前絵葉書のほか、錦絵、浮世絵、版画、骨董品、掛け軸、中国書画・仏教美術・工芸品、戦前絵葉書、瓢箪、朝鮮、韓国美術、古写真、煎茶道具、絵画など、幅広いジャンルの買取をさせていただいております。
業界実績40年の確かな目利きで、お客様の大切なお品物を査定させていただいています。
お品の背景や、現在の価値なども含めて、丁寧にご説明し、ご納得いただけるような買取金額を提示させていただいており、「すみのあとに相談して良かった!」と言っていただけるようなお取引を心がけていますので、安心してください。
もちろん、ご納得頂けない場合は、売らなくても大丈夫です。
品物の点数が多い場合や、ご自身では整理できない状態にある場合は、現地に訪問させていただくことも可能です。
全国どこでも無料で出張買取をおこなっていますので、まずはお問い合わせください。
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訪問当日は専門スタッフが丁寧に査定させていただき、金額にご納得いただけましたら、その場で現金でお支払いいたします。
また、出張買取以外にも、店頭買取はもちろん、宅配買取も受け付けています。
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