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2023.05.30

古い鉄瓶って売れるの?鉄瓶を高く売る4つの方法

湯を沸かすための道具である鉄瓶(てつびん)。鉄瓶で沸かすと味がまろやかになり飲みやすくなると言われていますね。

材質は鉄なので、丈夫で古いお品も多くありますが、売ることはできるのでしょうか。

鉄瓶の歴史や高額買取のポイントをまとめてみました。

ご自宅に古い鉄瓶があり、処分を考えているという方はぜひ参考にしてください。

 

鉄瓶(てつびん)とは

鉄瓶とは、鉄製の湯沸かし器具で、茶の湯窯から派生したといわれています。

味がまろやかになるほか、鉄分補給になることもあって、現代でも人気のあるアイテムです。おしゃれな形やカラフルな鉄瓶が多く販売されており、老若男女問わず人気があります。

現代の鉄瓶は内側がホーロー加工されているものも多く、さびないので手入れもしやすいです。手軽にお茶やコーヒーがおいしくなるため、プレゼントとしても人気があるようです。

 

古くからある鉄瓶には大きく分けて 2 種類あります。

ひとつは岩手県の盛岡などの名産品となっている南部鉄瓶です。

そしてもうひとつは京都で作られている京鉄瓶。

 

ふたつの大きな違いはその蓋です。南部鉄瓶は鉄製なのに対して、京鉄瓶は蓋が銅製で作られていることが多くあります。

蓋のつまみは真鍮や銀などでできていることも多く、蓋の裏に銘が彫られていることもあります。

 

鉄瓶の歴史

鉄瓶は江戸時代の後期ごろ、茶の湯窯から生まれたと考えられています。

湯を沸かすために取っ手や注ぎ口が付いた鉄製の道具は、薬用などの用途のものが13世紀には存在していたようですが「鉄瓶」とは呼ばれていませんでした。

 

茶の湯の道具として考案された鉄瓶ですが、徐々に民間にも浸透していきました。

少しハードルの高い茶道と違い、煎茶道は庶民にも受け入れられやすかったことから、煎茶を入れる道具として広まっていったようです。

明治初期の草双紙の挿絵にも描かれていることから、生活の一部として浸透していたことが伺えます。

 

南部鉄瓶

南部鉄器は、銑鉄(せんてつ)を主原料として造られます。

南部鉄器の産地は盛岡市と奥州市です。盛岡の鉄器は17世紀初めごろに、南部藩主が京都から釜師を招いて茶の湯釜を作らせたのが始まりとされています。

奥州市の鉄器は、平安時代末期に藤原清衡が近江国から鉄器職人を招いて武具などを作らせたことから始まったようです。

 

京鉄瓶(関西鉄瓶)

関西(大阪・京都・滋賀)などでも昔からよく鉄瓶が作られました。

繊細で上品なデザインのものが多く、普段使いだけではなく、茶の湯などでも使用できるのが特徴です。

 

その美しさから、美術品・工芸品としても人気が高く、コレクターが多いのも特徴です。

特に京都の有名な工房である「龍文堂」の京鉄瓶の人気は高く、骨董品として価値のあるお品です。

 

「鉄瓶」高額買取のための4つのポイント

鉄瓶は骨董品としても人気があります。

茶道具として実際に使用したいという方もいるので、需要の高い品目です。

ではどのような鉄瓶が高額買取の対象になるのでしょうか。

 

高額買取のポイントは以下の通りです。

 

①象嵌が施されている

②箱書きがある

③水漏れしない

④著名なメーカー

 

詳しく見ていきましょう

 

ポイント①象嵌(ぞうがん)が施されている

鉄瓶に象嵌が施されているものは芸術性が高く、高額買取になる可能性があります。

象嵌とは日本の伝統的な技法で、模様を彫り、そのくぼみに別な素材をはめ込む加飾法です。

彫刻した溝に金を嵌め込む金象嵌、銀を嵌め込む銀象嵌は、素材の価値もあり、特に高額買取になりやすいです。

 

ポイント②箱書きがある

鉄瓶を保管している箱があるほうが高額買取になりやすく、箱書きがあることでその可能性は上がります。

箱書きとは、陶磁器や書画、茶道具などの作品を収納している箱に、作者や歴代の所有者たちが銘や来歴、署名や花押などを記すことをいいます。

特に、作者本人の箱書き(共箱)が望ましいです。

 

ポイント③水漏れしない

どんな骨董品にもいえることですが、お品物の状態が良いほうが高値が付きやすくなります。

鉄瓶は、道具として実際に使用したいという方も多い品物なので、水漏れしないかどうかは特に重要です。

 

鉄は錆びやすく、穴が開きやすいので保存状態には注意が必要になります。万が一水漏れする場合、鉄瓶は修復が大変難しいこともあり、高額買取は不可能になりますので、取り扱いには注意してください。

 

ポイント④著名なメーカー

鉄瓶には有名な工房(メーカー)がいくつかあり、そういったお品は高額買取の対象になります。

すでに焼失している有名な工房のものは、思わぬ高値がつくことも珍しくありません。

有名な工房について解説いたしますので、ご自宅に古い鉄瓶があるという方は、銘などがないか確認してみてください。。

 

・龍文堂

明和元年(1764年)頃、初代龍文堂の四方龍文が、京都で初めて「蝋型鋳造」という技法によって鉄瓶を造ったことが、「龍文堂」の始まりといわれています。

その後、二代目の四方安之助のころから、「龍文堂」と名乗り始めました。

安之助は「蔵六」鉄瓶の作者として名高い秦蔵六や、「亀文堂」の創始者である亀文堂正平などを弟子に抱え、高い評判を博していました。

 

「龍文堂」の鉄瓶は、明治・大正・昭和初期と長きにわたり日本中で人気がでました。

その証拠に、夏目漱石の「吾輩は猫である」の文中に、「この様な時には龍文堂の松風の音を聞いて茶を喫するが、最高の贅沢」という一節があることから、高級な生活用品として世の中に認知されていたことが伺えます。

しかし、蓋の裏に「龍文堂」と名前だけを彫った贋物の鉄瓶が、世の中に数多く世間に出回ることになってしまいました。

 

龍文堂は、昭和33年頃まで8代続きましたが現在は消失しています。

現存する作品は高価買取されています。

ちなみに、龍文堂には「本家」と「分家」があり、本家の制作した鉄瓶には本体に銘が入っているため、区別することが可能です。

 

・金寿堂

金寿堂も代表的な京鉄瓶の工房です。

江戸時代には、主に鍋・釜などを製作していましたが、明治時代に入り、「金寿堂」の名前で銅器や鉄瓶の製作をするようになりました。

有名な作家は、雨宮宗兵衛、雨宮宗、金森佐兵衛などです。

 

・亀文堂

明治から昭和時代に鉄瓶を制作していた工房です。

初代は波多野正平(亀文堂正平)で、弟の秦蔵六と共に龍文堂四方安平に師事して鋳造を学び、その近江・能登川で独立しました。

波多野正平の作品は人気が高く、高値が付くことがあります。

 

古い鉄瓶の買取は銀座古美術すみのあとへおまかせ!

 

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特に鉄瓶は贋物の多い品目です。

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この記事を書いた人

東京美術倶楽部 桃李会
集芳会 桃椀会 所属

丹下 健(Tange Ken)

丹下 健(Tange Ken)

創業40年の経験と知識、そして独自のネットワークなどを活かして、
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