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2022.10.27

【竹籠】作家・飯塚琅玕斎 買取・査定・相場について

飯塚琅玕斎は大正から昭和時代にかけて活躍した近代竹芸の第一人者です。実用品として扱われていた竹籠を芸術の域まで高めたことで知られ、目が詰まった唐編みから脱却し、太い竹割りを豪快に編むなど多用な技を駆使して独自の世界観を確立しました。花を生けずとも竹籠ひとつだけで芸術品として成立する飯塚琅玕斎の作品は、今でも人々の心を魅了し続けています。

 

飯塚琅玕斎について

飯塚琅玕斎(読み方:いいづかろうかんさい)は明治23年、栃木県の竹工芸家の元で生まれました。飯塚家は代々竹芸を業としており、12歳の頃より父である籠師の飯塚鳳齋(のち鳳翁)から手ほどきを受けて才能を発揮していきます。

 

実は10代の頃は画家を目指していたようですが、鳳齋からの手ほどきを受ける中で竹工芸の世界においての制作を強く決意。日本文化である書、漢学、俳句、和歌など多方面からの教養を積み上げた琅玕斎の竹籠作品は、非常に変化に富んでいました。

 

20歳になる頃には鳳齋の代作を務めるまでになっており、平和記念東京博覧会に「厨子花籃」を出品。銀賞を受賞したことを皮切りに、次々の功績をのこしていくことになります。後、30代半ばの大正15年(昭和元年)より日本工芸美術会の結成に参加します。

 

大正15年のパリ万国博覧会では竹工界から唯一参加した者となり、銅賞を受賞。昭和6年には日展に入選し、翌年には特選を受賞。目まぐるしい活躍の後、日展では初となる竹工家として初の審査員を 務めることになりました。

また昭和8年に行われたシカゴ万国博覧会では、日本を象徴とする美術品として出品に参加。ちょうどこの頃、日本を訪れていたドイツの著名な建築家ブルーノ・タウトが琅玕斎宅を訪れたことをきっかけに、数年の交遊が続きます。タウトは「西の田辺竹雲齋、東の飯塚琅玕斎」と喩え、琅玕斎の作品を「モダン」と評しました。

 

実は大正4年は大正天皇御即位式に際して「神服入目籃」を制作、昭和3には昭和天皇御大礼献上品として皇太后陛下に「掛花籃」を制作しています。戦後は日本工芸会の理事、日本竹工芸家協会会長などを歴任し、その華々しい活躍は1958年の生涯を終えるまで全うしました。琅玕斎の作品は子息である小玕齋(しょうかんさい)に受け継がれています。

 

飯塚琅玕斎の作品の特徴や技法

飯塚琅玕斎の生み出す竹籠作品は、真・行・草の三態の概念を導入し「あんこう」「国香」「織姫」など自然の事物、事象と応じあう趣ある「銘」を作品につけるのが特徴的です。底から縁まで一本の竹で編み上げる束ね編、正倉院御物を連想させるような刺編など緻密な竹工技術を駆使し、太い竹割りを豪快に編むなど琅玕斎にしか表現できない端正でモダンな独自の世界観を確立しています。

 

竹籠といえば多くの作品は花籠としてなど、何か道具として活用することが目的とされていましたが、琅玕斎の生み出す作品はたとえ花が無くても、作品一点だけでも際立つ美しさをもたらしているのが特徴です。また、竹本来が持つ光沢や凛としたしなやかさを活かすことを得意としており、ただ編むだけでなく空間を巧みに取り入れました。人へ安心感や静寂さを与えるような空気感を纏う琅玕斎の作品は、唯一無二と言えます。

 

 

飯塚琅玕斎の作品が観れる場所

飯塚琅玕斎の作品が観れる場所をお探しであれば、東京都千代田区にある東京国立近代美術館へ行くといいでしょう。花籃の「あんこう」「宝殿」「久寿玉」、手筥など琅玕斎を語る上では欠かせない数々の貴重な作品が収められています。

西日本側にお住まいの方であれば、京都府京都市にある京都国立近代美術館に足を運ぶのもおすすめです。琅玕斎の作品があり、花籃の「富貴」や平竹掛花生が収蔵されています。

 

さらには栃木県宇都宮市にある栃木県立美術館にも作品が収蔵されていますが、こちらはなんと「吊花藍 魚籃」といって、本来は釣った魚を入れておく竹籠を作品にしたものです。かつては茶人の千利休が、漁師が使っていた魚籃を花入に見立てて茶席で用いました。そのことをきっかけに魚籃花入を作る竹工家が増え、琅玕斎も魚籃作品をつくりますが、「吊花藍 魚籃」は格調高く圧倒的な存在感を放っているといいます。

初期の頃のシンプルな作品から、胴部は古典編みで立ち上げ口縁には緻密な籐かがりを施すなどの凝った琅玕斎らしい作品までを、あちこちの美術館でたのしむことができます。

 

飯塚琅玕斎の買取査定ポイント

「飯塚琅玕斎かもしれない作品が手元にある」「飯塚琅玕斎の作品を買取してほしい」そんな時に確認しておきたいポイントをご紹介しましょう。

 

本人の作品であるかどうか

まずは飯塚琅玕斎の作品であるかどうかという点が重要な査定ポイントになります。本物であればもちろん高額買取になりますし、本物ではない可能性もあります。鑑定士の鑑定により真贋を見極めることは可能ですが、それでも箱の有無は重要です。共箱であれば飯塚琅玕斎のサインと印が入っているので、作品・サイン・印と3つの点から本物であることを確実に証明できます。うっかり・・・ということはないと思いますが、査定に備えて箱は紛失しないようにしておきたいですね。

 

竹籠の種類や編み方

飯塚琅玕斎といえば「花籠」をよく制作していたことに加え現代においても茶室で飾って使えることから、人気の傾向があります。もちろん制作していた作品は他にも様々で、「茶箱」や「提げ籠」などもつくられています。琅玕斎の作品は芸術作品でありながらも基本的には用途がある作品ばかりなので、全体的に買取してもらいやすいと考えていいでしょう。

初期の作品ほどシンプルに一定の編み方で仕上げた作品が多いですが、後に複数の編み方を駆使した作品が増えていきました。古い作品ほど入手困難ではありますが、新しい凝った作品ほど買い手も見つかりやすく、どちらにしても高額買取であることには違いありません。

 

保存状態

買取価格を左右するのが保存状態です。編み目の解け、色褪せ、シミやカビなどがあると査定ポイントとしてマイナスになってしまいます。とはいえいくつもの美術館で作品が展示されるほどの作家、飯塚琅玕斎の作品です。傷んでいても予想しないような買取金額がつくことも多いので、諦めないようにしましょう。必ず一度鑑定してもらうことが重要です。

今後買取査定を予定しているようであれば、直射日光があたるような場所へ置くことは極力避けて、シミやカビが生える湿気があるところや、汚れてしまうような場所へ置くことはやめましょう。

自宅で保存しておくのが難しく、いつか買取してもらおうと考えているようであれば、早いうちに買取査定へ出すだけでも高価買取してもらえる可能性があります。

 

買取に出すか迷ったら

買取に出す際に迷う理由の多くは「飯塚琅玕斎の本物の作品であるかどうかわからないから」「売る時は金額がどれくらいかにもよる」などの理由が挙げられるのではないでしょうか。そんな時は、まず簡易査定に出して価値を知るところから始めるのがおすすめです。

 

簡易査定とは、作品の写真を携帯電話やスマートフォンのカメラで撮影し、撮った写真をLINEやメールで送ることで、今すぐにでも査定に出すことができる方法のことを指します。査定結果が届き、価値を知った上で実際に売るかどうかはあらためて自ら決めることができます。今回は飯塚琅玕斎の作品として竹籠をご紹介していますが、中には他の作家の作品であることがわかり、その上で価値がつくこともあります。

 

「買取に出す」ことを考えると、なかなか決断が難しいという方はたくさんいらっしゃると思います。電話受付も行っておりますので、まずは気軽にご相談ください。「すみのあと」では飯塚琅玕斎の作品はもちろん、竹籠作品を高価買取中です!

この記事を書いた人

東京美術倶楽部 桃李会
集芳会 桃椀会 所属

丹下 健(Tange Ken)

丹下 健(Tange Ken)

創業40年の経験と知識、そして独自のネットワークなどを活かして、
お客様の大切なお品物を確かな鑑定眼で査定させていただきます。

作品の背景や、現在の価値なども含めて、丁寧にご説明し、
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